1.古代文字教室 -古代への旅-  2.今、大人気 通信教育型レッスン  3.こんなに楽しい古代文字作品  
   4.筆墨デザインへの気概 ・書の線について ・ 甲骨文、そして白川静先生 そして書道  5.書き順について・書作品としての甲骨文  6.師につかない理由  
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 先にも述べてきた通り私は師についていない、その理由をのべておかねばなるまい。
「社中はどちら?」「師匠はどなた?」とよく聞かれる。
流派に属し、その中で切磋琢磨するのが書の道つまり゛書道゛であるからである。
その中心となる考え方は、師につかないと不見識になる。
 学べない。そして大きな展覧会に入選できない、このような気持ちもあるだろう。
二十代の始め、当時私は不見識であった。無定見という言葉がその時期の私にあてはまる。主に臨書で修練を積み、手を鍛えるために、先生の教えに身を砕いていた。私の苦心の労作が先生の書風、個性の表れたものを書き表わしていたことに、息を呑んだことがあったが、先生の独自に生み出された、個性の形成による書道、その先生の持ち味、他と異なる書風、固有の書、独特の美を具現なさっていたのであり、弟子たちの鍛錬として必要なものだと十分に理解できた。しかし私は独り憂悶した。手慰みに書いていくつもりはない。享楽のためではなく、一生涯をささげて書を人生にしようとしているのだと。
良師に恵まれなかったのでは決してない。
人間的にも学問的にも敬愛の念を示す恩師はいる。
書道の師以外の恩師も大勢いる
我の書を生み出すには、書道の師から離れなければならない。師の書風が私の手につく前に。
自力で立ち上がらねばならない。
他力を頼みにすることは弱さに通ずる。
エピゴーネン追随者に終わることだけは避けなければならない。
そして、私は、゛書道゛、つまり書道の道を歩むことをやめた。
そして、新しい゛書゛の歩みを始めたのであった。
腕を磨くことは特定の師でなく、古代の先達が私を導いてくれる。先人の研究、先駆者の教えに添って稽古していく。
一つの流派にしばられず、あるゆる流派の先達の教えを学んでいける。
そして、古の文字を、誰の手が入ることなく手習いして身に付けていく。自学自習の道である。これが書家の歩むべき道。
甲骨文、金文の師は白川先生である。いつも目の前で解いていてくれる気がする。古代中国にも連れていってくれる。
白川先生の解説に私はただその意味をしっかり把握すればよいだけである。