1.古代漢字の書レッスン
2.通信教育レッスン
3.こんなに楽しい古代文字作品
4.筆墨デザインへの気概 ・書の線について ・ 甲骨文、そして白川静先生 そして書道
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書道師範を取り、中学高校の国語講師と、2つの書道塾経営の2足のわらじで走り抜けた20代。
映画タイトル、テレビ、新聞など題字を手がけながら個展も毎年開催していた。
書道の社中に入っていたら、これらのことは不可能であったに違いない。個展は時期尚早と撥ね除けられたであろう、書道家の最も嫌うのが商業書道であるからだ。「奇を衒う」という書道家の中では一般的な慣用句を使用し、はき捨てる。
文字をデフォルメし、斬新に、そして、伝統にない形を筆で記すこと、これらを書道家は敵視する。
文字のなんたるかを知らないからこのような字を書くのだ。筆の動かし方はこのような軽い物ではない、とお怒りになる。
ここで私の考えを言っておかねばなるまい。
商品を売るために記され、最大限にデフォルメされた文字は、筆で書かれていても゛書道゛とは呼ばない。
つまり私は商業書道という言葉も使用しない。
゛書道゛は日々の研鑚を表わす。つまり、師につき、回りのお弟子さんたちとともに、古典に表わされる文字表現の伝統を追い、一点一画を十分に研究、
研鑚
をしている日々を送る人々の日常。
その書道とははっきり区別せねばなるまい。
1瞬の輝きを追う文字。
1つの商品のために、一定期間のもののために書かれた文字。これらの技術やアイディアは書道とは全く違う世界にあるのだ。
伝統的な書道家の皆さんに「安易」と言われる位置では決してないのである。
東映の「残侠」という映画のタイトルを書く時、宣伝部の方が、仁侠道に生きる男たちの映画を何本も見て、しっかりイメージをわかせて、文字は重厚にと言われた。
方言で「義理、人情のおとこの映画や。高嶋、松方、ビートたけし 使ってるんや」と言われ、台本を読み、本編の内容を理解した上で、どの書体が良いかを考慮し、形を作り上げていく。
かすれの多さにより画面に写りにくい理由で却下。強弱のつけすぎで2回却下された後に「簡単に書けるやろ」と言われた。1000枚の半紙がこの仕事でなくなっていった。
この、一般的に商業書道と言われているものを私は、筆墨デザインと呼ぶ。だから、ここでの私は、筆墨デザイナーとして仕事をこなした訳である。
商品としての゛もの゛。
さまざまな方への思いが込められているその゛もの゛に筆墨デザインを掲げる時、文字の知識、手の技術はさることながら、多分野の知識も必要となってくる。絵画性、デザイン性、空間性など。
文字の追求だけでは決して足りないのである。
読める文字、しかし他の人には書けない文字。
私のイメージから作り上げられる文字。そのデザインに筆は不可欠である。筆の動きで文字は構築されていき、独特の強い個性で、その゛もの゛に目を止めさせることを目的とするのが、筆墨デザインである。
一点一画の集まりによって、もしくは、一本の線の集合によって、一つの文字は作り上げられ
ている、ともいえる。
その一本の線に、書の古典から得た知識を組み入れる。
起筆、送筆、終筆、この三つの意識のもと、書かねばならない。
その知識と意識の中に、書は記される。つまり書の線の集合が書であるため、知識と意識のない書字はたとえ、筆で書かれていても書の線でないと言え、書ではないということになる。
書家の私の記す、筆墨デザインの線はもちろん、書の線である。
知識と意識もなく筆で書かれ、デザインされた文字とは一線を画す、それが筆墨デザインである。
母は優しいかなを書く。日本でこれ程たおやかなかなを書ける人はいない、といつも思う。
私は性格的に漢字作家として自らを位置づけようと考えた時、まず漢字の原点として甲骨文を学んだ。
上梓されている書道関連の本は、殷の時代の甲骨文について短くまとめられすぎて、分かりにくく、理解できず辟易した。
甲骨文の部分を読んでも何も感じることは出来なかった。感じることを禁止するかのように分かりづらく、閉じた学問であった。もちろん甲骨文を書作品にするということも意識出来ずにいた。中国漢字を記すのであるから中国考古学をと思い、古代中国に関しての本を読みはじめた。そこで出会った白川文字学に心酔してしまった。白川先生の文章で、殷時代にタイムスリップできたように感じた。文字は系統だてて考えることが出来ると解き、古代文字により、古代中国文学より、古代の殷時代を解説し、文字を次々と説明していった。もちろん、考古学的知見と、日本の古代社会の歌謡などの知識の集積によるものである。
白川文字学に感動した私が甲骨文を学び始めた当時は、子供が小さく深夜しか勉強することが出来なかった。やっと本が開ける喜びと文章を読み進むうちに広がる古代社会に心踊りした。甲骨の鮮明な写真には文字を刻す音まで聞こえるような気持ちを味わった。
書道関連の本では紹介程度におさえられていた。
そして多くが臨書形式をとっている。内容があまりに希薄なものもある。手習いに重点を置き書けることを主眼としているから、研究者の間から書道家は字書きと呼ばれ、字づらだけを見ると言われるのも無理はない。
これらのただの紹介を読み、
理解
(
わか
)
ったと思い込んではいまいか。
いや理解らなくても、書ければ良いのか。
なぜ多くのものが簡単な解説程度に終始しているのだろうと考えた。
すべての書体の綱羅を主体としているのが゛書道゛であるからではないか。
現在の書道の教えの本質の1つがこのような本を作らせるのではないかと思った。
「楷書から始まり行草 出来れば篆書まで書けるようにしましょう 楷書30年、行書10年
かなはだいたい50年かかります。1つの書体に固執するのは10年早いです。」つまり専門性を強く意識出来るのはお墓の中で、ということになりかねない。書道を学ぶ中ですべての書体を書かねばならないのはあたり前である。しかし、いつまでもいろいろな書体を書いていたら、そこには何も生まれない、そう思う。学びはそのようなものではない。しっかりと腰をおろし我がものにする。その専門性が必要である。このように専門を意識し始め学ぼうとする時、自らの手で良本を探し選択できる力があることが望ましいと思う。私の場合は白川文字学により、漢字の成り立ちを学び、甲骨文・金文で書を表現していくことをライフ・ワークとしていくことができた。
書家として甲骨文・金文作品を書くのであれば、字源の把握、字形の理解はもとより、文字の成立した当時の社会と文化など予備知識を得ねばならないことを忘れてはなるまい。